7月は、直木賞と芥川賞の季節
7月になりました。最近ようやく蝉の声を聞いて、例年通りの夏がやってきたなあと思った筆者です。
毎年この7月に受賞作品が発表される文学賞だと、直木賞と芥川賞が有名です。通例7月と翌1月の年に2度受賞作品が発表となりますが、7月が上半期、1月が下半期という区分です。
今年で90年目となる2025年の直木賞と芥川賞は、7月上半期は両賞の該当作なしという衝撃的なニュースとなりました。両賞ともに該当作がないのは、1998年1月以来の27年半ぶり、6回目のことです。
とはいえ、ノミネートされた作品はどれも素晴らしいものばかり! 受賞作だけではなく、ノミネート作にも注目してほしい賞です。
今回は、そのうちの直木賞に注目! 直木賞とは中堅・ベテラン作家の作品が対象となる賞で、ジャンルは大衆性の高いエンターテインメント小説となります。
「直木賞」って?
直木賞は、大衆性を押さえた長編小説または短編小説集に与えられる文学賞です。大正時代から昭和時代にかけて名をはせた人気作家直木三十五が名前の由来。上半期と下半期の年2回あります。
同時期に発表される芥川賞は無名・新人作家が主な対象者なのに対し、中堅作家・ベテラン作家が受賞することの多い賞です。
直木賞の由来となった直木三十五(読み方はそのまま、なおきさんじゅうご)。一風変わったペンネームの由来は、本名の「植村宗一」の「植」を分解したもの(直木)と、年齢を掛け合わせたもの。
「三十五」の部分は年齢のため、歳を取るたびに「三十三」「三十四」「三十五」と名前を変えていましたが、友人の菊池寛から「ややこしい」と言われて「三十五」で止まったのだとか。
芥川賞の由来となった芥川龍之介よりも聞きなじみがないかもしれませんが、これを機にぜひ注目してみてくださいね。
芥川賞は無名・新人作家による純文学が対象なのでハードルが高く感じられる方でも、エンターテインメント作品が対象の直木賞受賞作品であれば楽しく読むことができるかもしれません。
ぜひ、楽しい読書体験をしてみてくださいね。
第156回(下半期)直木賞受賞『蜜蜂と遠雷』 恩田陸・幻冬舎(2016)
【あらすじ】
芳ヶ江国際ピアノコンクールは3年ごとに開催される若手音楽家の登竜門。養蜂家の父と各地を転々とするピアノを持たない少年、天才少女と呼ばれながらもとあるきっかけからピアノを弾けなくなっていた女性、年齢制限ギリギリになっているサラリーマンの男性、優勝候補の青年。才能ひしめき合うこのコンクールを制するのは誰なのか?
それぞれに事情を抱えながら、努力と才能を駆使して過酷なコンクールで優勝することを目指す青春群像小説です。現実でもクラシック音楽のコンクールは基本的に30歳前後までしか参加できないため、10代~20代の若手がその腕を競います。その結果はいかに!?
おすすめポイント
この作品は、音楽をテーマにした小説を読みたい、または、熱い青春ものを読みたい、という方におすすめです。
この作品で「おお!」となるポイントのひとつが、コンクールの課題曲と、それぞれの登場人物が何の曲を選んだのかが最初に掲載されている点です。これで、実際に曲を聴きながら、リアリティを持って小説に臨むこともできます。
クラシック音楽はハードルが高いし、全部同じ曲に聞こえる……という方も大丈夫。これは音楽を文章で的確に表現した小説なので、実際の曲を聴いたことがあってもなくても、どのような音楽であるのかを想像することができます。
大げさな表現は控えめですが、音楽をテーマとした小説らしく比喩が多彩です。”音楽バトル”と言ってもいいような熱い競争が繰り広げられるので、音楽に疎くても、ハラハラやドキドキを感じることができるでしょう。
最近では音楽系のサブスクでも本作に取り上げられているようなクラシック音楽を聴くことができますので、ぜひ音楽と小説を同時に楽しんでみてくださいね!
読書時間目安:上巻6時間半~8時間程度・下巻6時間~7時間半程度 上下巻合計12時間半~15時間半程度(上巻399ページ・下巻368ページ 合計767ページ)
※ページ数は、文庫版でのページ数です。
『蜜蜂と遠雷』は、2016年の第156回で受賞しました。関連CDとして、本作に登場する楽曲を収録したものも発売されています。これらには書き下ろしのエッセイや短編小説も付属するので、ぜひチェックしてみてくださいね。映画化や漫画化などのメディア化もされています。
第148回(下半期)直木賞受賞『何者』 朝井リョウ・新潮社(2012)
【あらすじ】
二宮、神谷、田名部、小早川、宮本の就職活動中の5人は、ある日から小早川の部屋を「就活対策本部」と名付けて一緒に就職活動に励み始めます。これまでの学生生活での経験やSNSを活用して就職活動を進めていく5人でしたが、内定を得ることができた「裏切り者」が出現した瞬間、それまでの人間関係が激変し……!
上記の『蜜蜂と遠雷』もそうですが、リアリティがあるという意味ではこちらもおすすめです。就職活動という、誰にとっても苦しい経験になり得るものをテーマとした小説です。一応のテーマは就職活動が中心ですが、その中核にあるのは「人間の本性」。その心のうちにどんな本音が隠れているのか、それが露出した瞬間に何が起こるのか。それを考えてしまう作品です。
おすすめポイント
この作品は、人間の黒い部分にフォーカスした作品を読んでみたい、という方におすすめです。
まず最初に、それぞれのSNSでのプロフィールが掲載されています。X(旧:Twitter)の実際のプロフィールページと同じなので、このプロフィールを見るだけで登場人物たちのリアリティがグッと増してきます。
登場人物たちがSNSでどのような投稿をしているのかも作中で登場します。登場人物たちの関係性は、最初は大学生らしい日常的な雰囲気で始まりますが、SNSの投稿やそれぞれの心情などが見えてくるにしたがって、その関係性も徐々に変化してきます。
文章の雰囲気はシンプルそのものです。過剰な装飾がなく、まるで見たものをそのまま描いているような文章なので、比喩が苦手な人でもすらすら読み進めることができると思います。
まるで現実とリンクしているような空気感を持つこちらの小説、ぜひ読んでみてくださいね。
読書時間目安:6時間~7時間半程度(352ページ)
※ページ数は、文庫版でのページ数です。
『何者』は、2012年の第148回で受賞しました。2016年には映画化され、大きな話題になりました。舞台化もされています。
第145回(上半期)直木賞受賞『下町ロケット』 池井戸潤・小学館(2010)
【あらすじ】
佃航平は、研究者としての人生を諦め、家業の町工場を継いでいました。そんな佃製作所は製品開発の分野で強さを発揮していましたが、ある日特許を侵害したとして大手企業から訴えられてしまいます。どんな策を練っても万事休すの状況の中、国産ロケットの開発をおこなう巨大企業が特許を売ってほしいと持ちかけてきて……!?
小さな町工場が廃業のピンチに陥り、窮地を脱するために奮闘するというお話です。逆境に立たされながらも、仲間たちと一丸となって困難にあらがう姿は、きっと胸を熱くしてくれるでしょう。どんな状況に置かれながらも最善を尽くす強さを目撃したいなら、ぜひ!
おすすめポイント
この作品は、胸が熱くなるような小説を読んでみたい、という方におすすめです。
冒頭部分で、主人公の佃が自身の研究成果であるロケットの打ち上げに立ち会うシーンがあります。これは佃がまだ研究者だったときのシーンですが、このときのロケット打ち上げは……。
そんな冒頭シーンから始まるストーリーは、逆境に次ぐ逆境、しかし活路を見いだしてからは一丸となった奮闘、という非常に読みごたえのある展開で、読む手が止まらなくなります。
文章は全体として読みやすいです。町工場で部品を作るというお話の性質上、聞きなじみのない単語が出てくることもありますが、わかりやすい補足があるので挫折せずに読み進めていくことができます。
1段落がやや長い部分もありますが、読んでいるうちにだんだんと慣れていきますので、お話の面白さに没頭していくことができると思います。
読書時間目安:8時間半~10時間程度(496ページ)
※ページ数は、文庫版でのページ数です。
『下町ロケット』は、2011年の第145回で受賞しました。テレビドラマやラジオドラマにもなっており、続編として『下町ロケット ガウディ計画』などが刊行されています。山本周五郎賞の候補にもなりました。
第135回(上半期)直木賞受賞『風に舞いあがるビニールシート』 森絵都・文藝春秋(2006)
【あらすじ】
銀行からUNHCRの職員に転職した里佳は、上司であるエドと恋愛関係になり、結婚することに。しかしエドは危険な地域へと活動の場所を移し、ふたりは遠く離ればなれになってしまいます。エドに戻ってきてほしい里佳でしたが、エドは聞き入れてくれず……。(「風に舞い上がるビニールシート」)懸命に生きる人々の1日を描いた6編の短編集。
お次は短編集をご紹介します。直木賞は短編集も候補になりますので、受賞作の中には素敵な短編集がたくさんあります。この短編集は、自分の信念や、お金よりも大事なもの、そういったものをつかみ取ろうと努力する人々の姿が描かれています。
おすすめポイント
この作品は、自分の信念や大切なものを見つけたい、という方におすすめです。
短編集のため、長編はまだ挑戦するのに勇気が出ない……という方にもおすすめしたいです。1話ずつお話がつながっている連作短編ではなく、1話完結型なので、小説初心者さんにも読みやすいと思います。
文章は全体的に親しみやすく、温かみのある文体です。登場人物たちが心の中でつぶやく独白の表現も、しゃべり言葉に非常に近いので、いかにも小説っぽい表現にはまだ不慣れという方でも親しみを感じられるはず。
重たい雰囲気はあまりなく、軽い読み口です。しかし、テーマとしているのは人間にとって人間らしくあるために大切なものであることが多いので、もしかしたら胸に迫るような文章に出会うことができるかもしれません。
自分の信念を貫くことや、大切なものを追求することなど、そういうことに取り組みたい方にとっては、きっと背中を押してくれる一冊になってくれるでしょう。
読書時間目安:6時間~7時間半程度(352ページ)
※ページ数は、文庫版でのページ数です。
『風に舞い上がるビニールシート』は、2006年の第135回で受賞しました。2009年には、表題作「風に舞い上がるビニールシート」を原作とした全5回のテレビドラマが制作されました。
第58回(下半期)直木賞受賞『火垂るの墓』 野坂昭如・文藝春秋(1968)
【あらすじ】
神戸の大空襲で母と家を失った清太と妹の節子は、兵庫県の親戚の家に移り住むことになりました。最初はうまくいっていた共同生活でしたが、戦争が進むにつれて親戚との仲も険悪なものに。その居心地の悪さから、家を出て防空壕で暮らし始めた兄妹でしたが……。(「火垂るの墓」)焼跡闇市派の作家として名をはせた野坂昭如の原点的短編集。
有名な映画『火垂るの墓』(1988)の原作小説も、じつは直木賞を受賞しています。これまでご紹介してきた受賞作品とは違って、作家自身の体験を移し込んだ自伝小説的な部分が多くあり、リアリティを超えて現実を突きつけられているような気持ちになります。
おすすめポイント
この作品は、有名映画の原作を読んでみたい、という方におすすめです。
こちらも6つのお話が入った短編集で、表題作「火垂るの墓」のほか、同時に直木賞となった「アメリカひじき」、「焼土層」「死児を育てる」などが収録されています。
昭和文学ですので、表現は古風です。段落も長めに取られている部分があったり、句読点のうち読点(、のこと)で文章を切ったりつなげたりしているので、最初は読み慣れない感じがあるかもしれません。
ですが、状況がわからないほど読みにくさを感じると言うことはありません。むしろ、実際にその場にいるかのような臨場感を持って読むことができると思います。
読んでいてつらくなるようなシーンもありますが、なかったことにしてはならない過去と向き合うつもりで、読み進めてみてほしいと思います。
読書時間目安:5時間~6時間程度(288ページ)
※ページ数は、文庫版でのページ数です。
『火垂るの墓』は、1967年の第58回で受賞しました。表題作の「火垂るの墓」を原作とした映画(実写・アニメーション)、漫画、テレビドラマなどがあります。その中でも、アニメーション映画はとくに有名です。
直木賞受賞作発表の月に、過去の受賞作も読んでみて!
今回は、直木賞の受賞作品を5つご紹介しました。
直木賞は歴史の長い賞なので、第二次世界大戦の時期には中断もありましたが、1935年の設立から2025年7月で173回となります。
今回は該当作なしという結果になりましたが、これまでの歴史のなかでノミネートされてきた作品たちは、どの作品も読み応えのあるものばかりです。
今後も新たなノミネート作品や受賞作品が発表されていく賞ですので、ぜひ今後の新しい作品も、また過去の作品も、注目してみてくださいね。