もう一つの眼として手に入れたい。それがLEICA

誰にも邪魔されずに思索に集中できる空間としてのクルマがあり、誰にも邪魔されず無心になれる瞬間としてバイクがある。
そして、眼に映る美しいモノ、愛しいモノを一瞬で切り取って記録できるものとして、カメラがある。
クルマもバイクも、自らの内なる何かにアクセスできる、かけがえのない時間を生み出せる素晴らしい道具だが、カメラはその時間をコピーし、写真として残すことができる。クルマやバイクで得たものは自らに記憶するしかないが、カメラはそれらを記録して、しかも誰かに共有することができるところが素晴らしい。そして写真は、動画とは違って、複数のメッセージを同時に込めることが可能だ。饒舌ではないがゆえに、深みを持つ。だから僕はカメラ、そして写真を愛している。
その僕が、いま最も欲しいものはライカのM だ。買えば?と言われるが、結構高いのだ。
もちろん買えない金額ではない。ないのだが、例えばいま使っているGR や、EOS 5D3 との違いを僕はまだ正当に説明できない。人に理解してもらえるだけの差異も実はわかっていないし、それらのカメラに比べて相当に割高なそれを、購入する意義を自他に納得させるだけの、繊細な能力や感覚がまだない。
ただ欲しい。だから買うというのは ライカに対しても失礼な気がする 。だから、それができるまで、手を出すのを我慢している。
ヴィム・ウェンダース監督の静謐なCMに再び心揺れる
Wim Wenders Movie for Leica Camera
youtu.beそんな気分のときに、この動画を見つけた。
製作したドイツ人映画監督のヴィム・ウェンダース。ウェンダース監督 は、奥様が著名なフォトグラファーであり、その影響か彼自身も写真展を開くほどの腕前だそうだ。日本にも来日したことがある。
70歳近いウェンダース監督は、ライカを慈しみ、未だにうまく撮れるように練習する、と語っている。
「ライカは秘密のオブジェクトであり、触るたびに胸がドキドキする」とウェンダースは静かに話す。
長いキャリアを持ち、さまざまな撮影器具を使いこなしてきたウェンダース監督にして、ライカはいまだに胸をおどらす、素晴らしいツールなのだ。
できることは写真を撮ることだけ。それだけの道具が、まるで魔法のツールのように感じ取れる。



ファインダーをのぞく真剣なまなざし

完璧なフォーカスに思わず笑みが
いつかその手にとるために
弘法は筆を選ばず、という。名人は何を使っても傑作をモノにする。それは本当だろう。
しかし、腕の未熟さを良い道具がカバーする、ということもある。そして、それは決して悪いことではないと思う。
僕はクリエイターであると自認しているが、写真家ではない。自分の感覚を切り取り、残す。そのセンスを自分の眼に頼るだけでなく、もう一つの目として良いカメラ、よいレンズの力を借りることは悪いことではないと思うのだ。
とはいえ、いまはまだ少し早い。
ライカに見合う、クリエイションのセンスと、自分たちが作り上げたものが確かに自分が想定したレベルに達したと胸を張れるまで、もう少しだけ、自分にお預けをする。ライカに真摯に向かい合えるまで。

画像はすべてYouTubeから引用
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