僕はインターネット・IT業界には、もうかれこれ15年ほどいることになる。古参すぎて、自分でも気持ち悪くなる(苦笑)

インターネットの黎明期から現在まで、さまざまなトレンドが生まれては消え、さまざまなテクノロジーが世の中を少しずつ変えてきた。そうした変化の歴史を、たまには順々に思い返し、なぜ今につながっているのかを考えることは重要だと思う。それが未来を予測する唯一の方法であるからだ。

そこで、今回は僕が影響を受けたいくつかの企業または製品を紹介させていただく。 このエントリーでは軽い紹介にとどめ、一つ一つのアイテムについては別途解説する機会を持ちたい。

Netscape

Netscapeは世界で初めて、Webの閲覧を普通の人(学者や専門家などではない一般の人達)の手の届く体験にしてくれた企業だ。ネットスケープナビゲーターというブラウザーはIEとの戦いに敗れましたが、いまでのその残り火がFirefoxの中に息づいている。

Microsoftに真正面から立ち向かったことによってインターネットの歴史から消えていってしま
ったが、ベンチャーとは冒険であり、若者の無謀な挑戦こそクールだということを体現してくれた企業だと思う。まさしくRockな感じを持ったNetscapeは、今でも僕の憧れである。

画像: マーク・アンドリーセン, Netscape 共同創業者

マーク・アンドリーセン, Netscape 共同創業者

 

Napster

ショーン・パーカーの復権で、その名を聞いた人も多いだろう。

【Singlesな男たち】シリコンバレーの風雲児 ショーン・パーカー - Singles (シングルス) - 自立したオトナのための、ライフスタイルWebマガジン

出典: ショーン・パーカー (Sean Parker、1979年12月3日 - )は、アメリカ合衆国の実業家であり、起業家。ナップスター、Plaxo、Causesを共同設立し、Facebookの初代CEOを務めた。( Wikipedia ) 映画「ソーシャルネットワーク」で脚光を浴びたシリコンバレーの闇の騎士 映画「ソーシャルネットワーク」で、主人公 Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグをシリコンバレーへと誘う導師の役回り。それがショーン・パーカーだった。彼はまるでスターウォーズの ダース・シディアス のように、無邪気なプログラマー マークを巧みに稀代の起業家へと変貌させていく。 多くの天才や狂言師、変人たちを輩出するシリコンバレーにして、ショーン・パーカーほど、毀誉褒貶が激しい人物も珍しい。早熟の天才、 喘息持ちで、麻薬や女に溺れるパーティー野郎。常識破りで遵法精神にもかける問題児。 彼を嫌う人間はさまざまな言葉で彼を表現する。ショーン・パーカーの才能は認めざるを得ないので、そこは褒めるが、それと同じ強さで彼の素行の悪さを数え立てる。実際、ドラッグについてはいいがかりであったとしても、そもそも女癖の悪さや、夜な夜なナイトクラブに繰り出しては大騒ぎに興じるという点では、ほぼ事実なので、世評に大げさな悪評が入り込むことを防ぎきれなかったということはある。 型破りな半生 ショーンはまだ35歳ながら、多くの伝説を打ち立てている。 彼の半生をサマライズすると、 第1期:Napster時代 第2期:Plaxo時代 第3期:Facebook時代 第4期(現在):投資家時代 となるだろう。 まずNapster時代では、1999年、同じショーンの名を持つショーン・ファニングと共に、音楽共有サービスの提供ベンチャーNapsterを立ち上げた。自分の持っている楽曲を世界中の音楽ファンと共有できるこのサービスには、著作権に対する配慮が全くなく、結果的に当時はまだパワフルだった音楽業界の逆襲にあって敢なく倒産の憂き目に遭う。 Napsterがあって初めて、iTunesのその後の隆盛があった。ショーン・パーカーの先見性は確かだったのだが、そもそもNapsterという名称自体が”泥棒”的なニュアンスを持っていることから、故意に音楽の著作権を無視しているとみなされたのかもしれない。 第2期のPlaxoでは、新たに友人二人と、三人でアドレスブックの共有サービスPlaxoを立ち上げるが、彼の奔放なライフスタイルを嫌うVCとの確執が生まれ、ついには友人たちにも裏切られて、彼は一人追い出されてしまう。 「ソーシャルネットワーク」でもこのあたりのエピソードに触れられている。 第3期のFacebook時代では、冒頭で述べたようにマーク・ザッカーバーグをプログラマーからビジネスマンへと成長させるメンターとして活躍し、資金調達や人材確保に辣腕を振るった。彼は初代Facebook社長となるが、ここでも麻薬吸引の疑いをかけられ、VCから社を追い出されてしまう。 そして、現在に至るが、ショーンはFacebookを追い出されても大株主でいることは死守したおかげで、25億ドルとも言われる資産を手に入れることができた。そのお金を使い、優良ベンチャー(例えば音楽配信サービスのSpotifyなど)への投資や、自らもスタートアップを起こすなど、シリコンバレーで独自のポジションを占め続けている。 浮気性に見えて、実は興味関心の軸はぶれないショーン・パーカー 上述のように、彼は結果として複数のスタートアップの立ち上げに携わり、ことごとく志半ばで会社を去る、ということを繰り返してきた。 なので、ショーン・パーカーといえば、着眼点の確かさでは定評がありながら、最後まで仕事を完結できずに投げ出す人物、のように捉えられることが多い。 (余談だが、僕も同じような言い方をされてきたし、頓智、そしてテレパシーという自ら立ち上げたベンチャーを去った 井口尊仁氏 への評判もそれに近いかもしれない) しかし、実際は違う。 自ら飽きて仕事を放棄したのではなく、創業した時の強い信念とコンセプトに殉じようとしたからこそショーン・パーカーは追い出されている。大人の論理で、環境に合わせて自らを変えようと進言する取締役会に対して、創業の思いを貫こうとするから軋轢が起きたのだ。それだけショーンが純粋だったと言える。 また、彼が創業に携わったNapster、Plaxo、Facebookは、すべて”なにか”を共有する、シェアするサービスである。インターネットに魅せられ、インターネットが大好きなことからハッカーとなり、起業家となった彼にとって、インターネットは、人々が知識だったりノウハウだったり、さまざまな情報をシェアすることで、互いを豊かにするためのプラットフォームなのである。 つまり、いろいろなことに手を出しているのではなく、あくまで何かをシェアする、という一点にこだわってきた。同じことをビジネス化しようと挑戦してきたのである。 その純粋さと強い信念が、金銭的に報われたことはショーン・パーカーの幸福であるが、いつかは再び彼自身が自らのスタートアップを創業し、世界にインターネットの真価を問う、サービスを作り上げてくれることを期待したい。

dino.singles

2000年前後に世界を揺るがした音楽ファイル共有サービスだ。NapsterがなければiTunesもないし、Spotifyもない。
Napsterは、法的に言えば違法だったろうが、世界中のネットユーザーと音楽アーカイブを共有し、会話を楽しめるという体験は、多くの人々にネットの驚異的な可能性を感じさせたはずだ。

結局はその違法性を問われて、牙を抜かれ、やはり歴史から消えていくはかない運命にあったものの、彼らもまた、非常にクールな存在だった。映画「さらば青春の光」のモッズたちのように、破壊的なエネルギーの中に強い輝きがあった。NetscapeがRockなら Napsterはパンクと言えるだろう。

Palm

HPに買収されたり、また売られたりと、落ち着かない。Palmもまた悲劇のベンチャーだ。PDA、そしてスマートフォンをいち早く世の中に生み出し、世界を変えたのに、商業的な成功は悲しいほど短期的なものだった。
それでも禅に例えられたほど、シンプルさを追求したモノ作りの姿勢は美しかった。彼らを音楽で例えるなら、R&Bかな。

彼らの苦闘を描いた書籍『シンプリー・パーム』は今でも僕の必携の書である。

起業を志す人なら、ぜひ一読をおススメする。

This article is a sponsored article by
''.