読書は、ある意味究極のおひとりさま趣味の一つだ。
映画や音楽鑑賞は、好きな人と十分にシェアできるものだが、読書はそうはいかない。また、テキストを黙読し、情景を脳内でリアリティあるシーンとして生成しながら、コンテンツを消化していく作業は、相当にクリエイティブである。音もなく動きもない、活字からの情報を基に、頭の中だけで生き生きとした会話や動きを再現していく。頭の中だけの活動ゆえに、誰かと同時に、また 全く同じ体験をシェアするということは不可能だ。
だから、いまさらながら、良書を一人楽しむことを、ここで改めてご紹介しても、Singles!!のコンテンツとしてあながち的外れではあるまい。
そして、今回ご紹介する作品は、ひとり没頭して読むのに最適なものの一つだ。さらに言うと、起業家なら必ず読めと声を大にして言いたい傑作である。
それは、中世ヨーロッパや古代ローマなどの、史実を基にした物語作りでは右に並ぶものがいないと思われる、塩野七生さんの初期の代表作『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』だ。
西欧の織田信長
本書を手にしたのは、高校一年の春だった。下校中に寄った横浜駅西口の有隣堂書店で、書名に惹かれて手にしたのが最初で、それ以来十数回読み返している愛読書である。(ちなみに、その際、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』も同時に購入した。こちらもいつか紹介したい)
チェーザレを一言で説明するなら、西欧の織田信長、といえばなんとなく理解してもらえると思う。
彼は、15世紀末にローマ法王の息子として生まれた(カトリックの聖職者は本来結婚できないし性行為を禁じられている。だから庶子ということになる)。一時は法王に次ぐ権力者である枢機卿にまで上り詰めながら、その地位を捨てて、軍事力によって、都市国家の集合体であった当時のイタリアの統一を目指す。
織田信長のモットーは「天下布武」だが、チェーザレのモットーは「Aut Caesar, Aut Nihil(皇帝か、死か)」だ。いずれも、天下を統一して自らがその王となる野心を端的に示している。
ルネサンス期、初めてイタリア統一の野望をいだいた一人の若者――父である法王アレッサンドロ六世の教会勢力を背景に、弟妹を利用し、妻方の親族フランス王ルイ十二世の全面的援助を受け、自分の王国を創立しようとする。熟練した戦略家たちもかなわなかった彼の“優雅なる冷酷”とは。〈毒を盛る男〉として歴史に名を残したマキアヴェリズムの体現者、チェーザレ・ボルジアの生涯。
君主論のモデル
チェーザレの政治手腕と軍事的才能は卓越したもので、当時フィレンツェの外交官であったマキャベリをして、後年に彼が記した『君主論』の中で理想の君主として描かれる。
『君主論』、あるいはマキャベリズムというと、目的のためなら手段を選ばない、時として卑劣で苛烈なリーダーを想像させるが、実のところ本書を読めば、そういう腹黒いイメージが誤りだったことを理解できるはずだ。むしろ、自分自身の権力者への野心と、強力な外敵(当時の仮想敵はフランス)の脅威にさらされていたイタリアを守ろうとする純粋な目的が、華麗にミックスされて昇華しているチェーザレの行動に、爽やかさえ感じることだろう。
2010年代に入り、多くの若者が起業家を目指し、実際にスタートアップを始めるようになった。彼らの多くは、あまり野心家であるように見られることを好まないように思えるが、本書を読めば、個人的野望を追求することもまたスポーツ選手のそれのようにクールだし、結果として多くの雇用やの税収を増やすという社会貢献に寄与する、それでいいのだと感じてくれるのではないかと期待するのである。
ぜひ、本書を手に取ってほしい。